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2022.11.11
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小島よしおさんは大学時代、コントユニット・WAGEに参加しライブで活躍。その後テレビで大ブレイクし、現在はYouTubeの教育系チャンネルで小学生の圧倒的な支持を得ています。激動の20年で得た小島さんの“換える”秘訣をお聞きしました。 (全2回の2回目)

とりあえずやってみる。それを結果に繋げる

念願の早稲田大学に入学を果たした小島さんは、在学中、コントユニット・WAGE*で活躍した。才能あふれる先輩たちに囲まれ、お笑い芸人としては幸せな揺籃期を過ごしたが、小島さんの卒業と前後してWAGEは解散してしまう。突然の一人、否が応でもピン芸人に「換え活」させられた小島さんは? そしてネタ作りはどうなった?

*WAGEはWaseda Academic Gag Essenceの単語の頭文字を並べた、コントユニット名称。全員早稲田大学生。メンバーは森迅史、岩崎宇大、槙尾祐介、野中淳、小島義雄、全員早稲田大学の学生。コンクールで入賞したのをきっかけに、芸能プロダクション・アミューズに所属した。現在、森は脚本家、野中はミュージシャン、岩崎と槙尾はお笑いコンビ「かもめんたる」として活躍中。

アドバイスはすべて聞こう言われたことはすべてやろう

――それまでWAGEのメンバーの一員としてとしてやっていたのに、急に独り立ちすることになったそうですね。様ざまな変化があったと思います。

小島よしおさん(以下敬称略):僕は解散したくなかったんです。でも、そうなってしまって…。その後、どういうスタンスに換えたかというと、お笑いの先輩たちや周囲の人たちの「アドバイスを聞こう。言われたことは全部やろう」になったんです。僕、自分で考えたネタはたいてい面白くないんです。

WAGEっていう名の船は、もう大破しちゃってる。僕は船から落ちてる状態で泳がなきゃいけないけど、泳ぎ方はわからない。溺れないためには、誰かにつかまるしかない。自分が泳ぎ方を覚えるのも待っていられないし、だから先輩に言われたことをがむしゃらにやる、っていう。

髪型はアフロだったんですけど、切ったほうがいいと言われて切りました。芸人の先輩に「近くに引っ越してこいよ」と言われてすぐに移りました。それまでだったら「はーい」と適当に返事はするけど、引っ越したりはしませんでした。でもこのときはそう言われてすぐに引っ越しました。とにかく、全部、乗っかろうと。

無茶振りから生まれた「そんなの関係ねぇ!」

小島よしお:ある先輩が、趣味でDJをやってたんですね。その日はクラブイベントで「レコード持ちでついて来い」って言われました。もちろん「行きまーす」です。先輩がDJブースの中で「何かやれよ」って振ってきて、突然マイクを渡されたんですよ。焦って、ネタをやったんですけどスベりまくり。「すべったけど……」と言いながら、何とかしなくちゃなと思って、口をついて出たのが「すべったけど……そんなの関係ねぇ!」。

「そんなの関係ねぇ!」は、言われたことを全部やり、指示されるままに先輩の手伝いもこなして無茶振りにも応え、その果てに降りてきたネタだったんです。先輩につかまって荒波を越えてたら、岩にぶち当たってできた、コブみたいなもんです。

それまでのネタは稽古場で動いたり話し合ったりして生まれたものでした。ピンになってからというもの、ファミレスでネタを考える事はほぼなくなり。先輩に無茶振りされても、それについて行く。その中でネタがいっぱい生まれたんです。今までとはまったく違う、ネタ作りの大きな変化です。

一生懸命がアダに!?KYと言われた若い頃

――先輩の強引な支えや愛ある無茶振りから、「そんなの関係ねぇ!」が生まれた。先輩や友人とは良い関係を築かれていたんですね。ピンになってほぼ1年で全国区というのは、特筆すべきことだと思います。でも、それまでのライブ中心から、テレビのお仕事が多くなった。場が換わったことで例えばスタッフとのコミュニケーションも変えましたか。

小島よしお:そうですね。考えてみると、カメラのないところでは、人とのコミュニケーションはとれていたんじゃないかな。でも、ロケやトーク番組、そういうのは苦手でした。ライブと違ってお客さんは多くない。そこにいるのは演者とかスタッフさんだけで、その人たちを笑わせることが大事になるわけなんですが、そのことだけに気がいっちゃって、すごく狭い視野で仕事場にいました。

20代で、現場ではだいたい僕が一番年齢が若くて、一発屋とか言われているし、なんかこう、何かをしなきゃいけないみたいな。変な焦りがありましたね。
そして、必死になって笑わせようということばかりに意識がいって、周りが見えなくなっちゃう。人が喋ってる時や、今、その話じゃないという時に出しゃばったりして、KY(空気読めない)、KYって言われました。当然かなって思うけど、それも仕事が減った原因のひとつかもしれません。

今はだいぶ経験を積んで大人になっていますので、そんなことも減りました。今でもたまにあります(笑)

換えると次が見えてくる換わる自分も楽しみ

――この後、小島さんは大ブレイクを経験し、そしていっとき仕事が減ったものの、子ども向けライブに活躍の場を広げる「換え活」を行いました。その子ども向けの活動が、YouTubeの授業動画に繋がっていきます。随分、換わり続けましたね。

小島よしお:そうですね。換えていくこと自体はすごく好きです。でも自分から換えようとすると、割と失敗することが多いんです。先輩やマネージャーから言われたことを、そのままやってみたらいい感じになったことの方が多いですね。言われたままとりあえずやってみて、やったらなにか出てくるんで。それを工夫しながら結果に繋げていくのが僕のやり方です。

――これからはどう換わりますか。

小島よしお:50になったら服を着て……。裸でいられるのは、40代までかなと思っているんですね。それまでに新しい仕事の仕方というか、生き方を考えようと思っています。自由な時間を増やして、日本中を渡り歩く、みたいなのも面白そうだなと思いますし、ボランティアとか環境問題にも興味はあります。これからまたどう換わるか、自分でも楽しんでいきたいです。


まとめ

「素直になんでも聞く」を徹底しようと決めた小島さんは、聞いた後に自分なりのアレンジを重ね、小島ワールドを作りました。換えたらお終いではなく、換えたことから始まる生き方。一発屋に見えることもあったけれど、それは小島さんのごく一部です。これからも換わり続けてください。
10年後、ジャケットを着た小島さんの活躍を楽しみにしています。


■プロフィール
小島 よしお(こじま よしお)
1980年生まれ。早稲田大学在学中にコントグループ「WAGE」でデビュー。2007年に「そんなの関係ねぇ! 」でブレイク。
YouTubeの教育チャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」で再びブレイク。「時計のよみかた」をはじめとする時計シリーズの動画は計100万回再生を突破。

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